「直心影流」とは
「直心影流(じきしんかげりゅう)」とは

影流の創始者 愛州移香斎が日向の鵜戸神宮の岩窟に参篭し、心気を澄まして修行を続けた結果、蜘蛛の姿をした神によって開眼、奥儀に達したのが始まりだと伝えられています。平常における立ち合い刀法、いわゆる素肌の兵法を追求したのが影流であり、技術的に後世の剣術、そして現在の剣道に最大の影響を与えた流派です。

歴代影流剣士
        
 宮崎県 鵜戸神宮
秋吉影流の理念

直心影流十三代、幕末の剣聖 男谷信友は安政三年四月ついに念願だった幕府の講武
所を発足させた。これは旗本、御家人等幕臣及びその子弟に武芸を鍛錬させて、時代
を担う人物を教育し、そして埋もれてた人物を発掘、登用するというもので、かねて
から信友が幕府に提案していたものである。

剣にかける信友の理念は、この講武所における剣術の教授法を見るとよくわかる。
「型による稽古のみの流派も多くあるが、講武所では試合形式(今のかかり稽古)で
いくので、そのように通達ねがいたい。型ばかりの稽古盛んに相成りては 却って士
気の衰へに相成るべし」とかかれています。信友の理念は「実戦本意」であるといえ
ます。

その「実戦本位」の理念と技術体系は、十四代榊原鍵吉に受け継がれ撃剣となり、同
門の富山円(初代台湾武徳殿 初代館長)と、そのご子息、富山可勢・吉永義秀・法
文親子を経て、秋吉博光に受け継がれています。
秋吉氏は、富山可勢・吉永義秀・吉永法文の三人の先生方に影流秘伝の剣術を伝授さ
れました。
 直心影流十四代 榊原鍵吉

影流系譜図



この他、現在は二百余流に引き継がれている。

inserted by FC2 system